日本の活版印刷の歴史|活字とは?100年前の文字が今に残るまで

日本の活版印刷の歴史|活字とは?100年前の文字が今に残るまで

スマートフォンやパソコンで文字を打てば、同じ形の文字が一瞬で現れる現代。けれど、かつて文字はデータではなく、一つひとつに重さを持つ「もの」でした。

Print Relicsがアクセサリーにしているのは、約100年前、私たちの印刷会社で実際に使われていた金属製の活字です。そもそも活字とは何なのか。日本の印刷文化の中で、どのように使われてきたのでしょうか。


そもそも「活字」とは何なのか

活字とは、直方体の先端に左右を反転させた文字が凸状に形づくられた、小さな版のことです。必要な文字を一つずつ拾い、文章の順番に並べ、インキをつけて紙に押し当てる。これが活版印刷です。

一ページ全体を板に彫る木版印刷と違い、活字は印刷後にばらして棚へ戻し、別の文章に何度でも使えます。言葉をつくり、ほどき、また新しい言葉をつくる。活字は、繰り返し働く文字の道具でした。


木版印刷から、活字印刷へ

日本では奈良時代から印刷が行われていました。現存する古い印刷物として知られるのが、8世紀につくられた「百万塔陀羅尼」です。その後、長く主流となったのは、文字と挿絵を一枚の板に彫る木版印刷でした。

16世紀末から17世紀初めには、木や金属の活字を使った「古活字版」も登場します。しかし、日本語にはひらがな、カタカナに加えて膨大な漢字があります。必要な文字をそろえ、分類し、探し、印刷後に元の場所へ戻す作業には、大変な手間がかかりました。そのため、江戸時代の商業出版では再び木版印刷が中心になります。

当社にも木版印刷版がたくさん残っています。


明治時代、金属活字が社会を支えた

活版印刷が日本に本格的に広がったのは、幕末から明治時代にかけてです。本木昌造らによって近代的な金属活字の技術が広められ、新聞、雑誌、書籍、役所の文書、商店の広告など、大量の情報を速く正確に届けられるようになりました。

印刷の現場では、原稿を見ながら活字を拾う「文選」、文字や句読点、行間を組み上げる「植字」、版を印刷機に取り付けて刷る「印刷」など、工程ごとに専門の職人がいました。

興味深いのは、文字のない余白さえ「もの」として組まれていたことです。文字間や行間には金属や木材の部材を入れ、ページ全体を一つのかたまりとして完成させます。紙面の整然とした美しさは、目に見えない余白を含めた膨大な手仕事によってつくられていたのです。


約100年前の活字が残しているもの

Print Relicsをプロデュースしている半田中央印刷が創業したのは1886年。当時の印刷物が資料として残っていました。よく見ると「明治二十六年」という文字が見えます。


社内に残っている活字は、こうした印刷物を刷っていた130年以上前のもの含まれます。

それらが、かつてどの文章に使われたのかを知ることはできません。誰かの名前だったかもしれない。店の広告や商品の説明、祝いの知らせ、地域の出来事を伝える一文だったかもしれません。

一つの活字は、印刷が終わるたびに棚へ戻され、また別の言葉の一部として使われました。表面に残る摩耗や小さな傷は、長い年月の中で何度も働いた証です。


言葉をつくった一文字を、今度は身につける

活字は、本来、一つだけでは文章になりません。
別の文字と出会い、並べられることで、初めて言葉の一部になります。そして印刷を終えると、また一文字へ戻っていきます。

Print Relicsは、役割を終え、廃棄されるはずだった活字を、ネックレスピアスなどの文字アクセサリーとして日常へ戻しています。

それは古い金属を再利用するだけではなく、かつて言葉を届けていた道具の記憶を受け継ぐことでもあります。

約100年前、紙の上で誰かに何かを伝えていた一文字が、今度は一人の持ち主と出会い、その人だけの意味を持つ。

活字の長い歴史は、そこで終わるのではなく、新しい物語として続いていきます。

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